JUKE BOX #006

古川 秀 さん
法政大学法学部卒業。学生時代は、インターンやインカレサークル(複数の大学の学生で構成される団体)、テニスサークルなど複数の団体に所属して活動。「人の自己実現に貢献したい」という想いから卒業当初は求人広告の出版会社に就職するが、後に工業原料の化学品を扱う専門商社という全く別の業界へと転職。


Q1.学生時代をどう過ごしていたのか、教えてください。
大学の講義は当時の自分にとっては退屈で、もっぱらインターンとインカレでの活動に没頭していました。この二つの活動が、今の自分の「仕事選びの軸」を形作る「原体験」になっています。
第一にインターン先では、フリーペーパーの編集部で取材や記事の作成、流通経路の開拓などほぼ全ての工程を任されていました。かなりのスパルタで仕事はとても大変だったのですが、あるときインタビュー対象者が、「古川君、ありがとう。君のインタビューのおかげで、明日からも頑張れるよ」と言ってくれたんです。その瞬間に疲れが吹き飛んでしまって。それ以来、「自分の仕事で誰かを元気に出来る。そんな働き方がしたい。」と考えるようになりました。
第二に、国際協力のために企画等を行っていたインカレサークルで、インターンでの経験を活かして「ブラウ」というフリーぺーパーを創刊しました。この雑誌の目的は、国際協力を通じた自己実現を手伝うことでした。ノウハウのあった僕が仲間を指導していったんですが、創刊の過程で仲間の目標達成に貢献することができ、すごく楽しかったです。元々「人を元気にしたい」とは考えていたのですが、この経験を踏まえて「人の自己実現に貢献することで、その人を元気にしたい」と思うようになりました。卒業して5年程した頃、そのサークルに立ち寄ったことがあります。ブラウはまだ発行されており、「人の自己実現に貢献する」という創刊の思いは引き継がれていました。感慨深いものがありましたね。
この二つの「原体験」が元になって、「人の自己実現に貢献したい」という「仕事選びの軸」が出来、求人広告の出版会社に就職しました。


Q2.何故転職を志したのでしょうか。
転職した理由は、仕事を取り巻く外的環境が変わったからです。2009年の金融危機を契機に求人広告が激減し、求人の数が求職者に対して40パーセントしかない状態に落ち込んでしまいました。「人の自己実現に貢献したい」という目標も達成できなくなってしまって。それで、「人を元気にするためには、先ず雇用を生み出す事業を立て直さないといけない」と考えるようになりました。


Q3.状況の変化に応じて、具体的にどのようなことをしたのですか。
「事業を増やし、元気にする」仕事とは何かと考えていたときに、スカウト会社に転職した以前の上司に商社の仕事を紹介されて、転職を決めました。商社は需要と供給のギャップを調整し、サプライヤーとバイヤー双方を満足させる仕事なので、事業を元気にすることができると考えたのです。環境が変わったから自身の夢の実現方法が変わっただけで、「人の自己実現に貢献したい」という想いは変わっていません。変わらない理由は、原体験が強かったからでしょうね。


Q4.今はどのような仕事をしているのですか。転職したことに後悔はありませんか。
顧客のビジネスに貢献するのが私の仕事です。具体的には、顧客の原料の調達方法を改善したり、顧客の工場での生産効率が向上されるような製造工程や原料・副資材・機器などを提案したりしています。今の仕事は面白いし、転職したことを後悔はしていません。ただ、顧客だけでなく業界全体に対して貢献できるビジネスを行うだとか、そのための知識を吸収するだとか、チャレンジしたいことはまだまだ沢山ありますね。


Q5.最後に、学生へのコメントをお願いします!
自身の原体験(軸)となるような強烈な経験をしてほしいです。感情の振れ幅(ブレ)の大きい出来事を見つけるべきだと思います。ブレが大きくないと、「自分は何が好きか」などといった自身の軸がわかりません。学生の間に色々なことにチャレンジすることで、そういった軸を見つけてほしいですね。


 
 
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